「そいつは男だ」
今まで黙っていた神威が突然口を開いた。
皆驚いて神威へと視線を向ける。山本は神威のことが苦手なのか、少し怖気づきながら問いかける。
「な、なんでそう言い切れるんだ?」
「俺は見た」 「な、何を」 「斎藤の裸」皆が目を丸くして神威を見つめる。
「どういうことだよ! いつ見たんだっ?」
突然いきり立った宇随が、神威に迫りながら問いただす。
それに動じず、神威は冷静に言い返した。「おまえだって見たんじゃないのか? 一緒に風呂に入っていただろう」
そう言われ、そういえばと宇随は考えた。
「でも待てよ、俺」
そこで神威が宇随の口に手を当て、それ以上の発言を止める。
神威は宇随の耳元でそっと囁いた。「斎藤を救いたければ、俺に話を合わせろ」
神威は山本に向き直る。
「俺は銭湯に行ったとき、斎藤の裸を見た。
宇随も見たはずだ、斎藤と一緒に風呂に入っていたからな。なあ宇随」神威が宇随をじっと見つめる。
「あ、ああ……ああ! 俺も見たぜ、こいつは正真正銘の男だ!」
二人の発言により、山本の頭は混乱した。
せっかく斎藤をぎゃふんと言わせてやれると思ったのに、これでは形勢逆転じゃないか。 このままでは済まさない。「そんなの信用できない!
二人は斎藤と仲がいい。口裏合わせてるんじゃないのか!」 「そこまで! もうやめないか」伊藤がしびれを切らして口を出した。
山本に鋭い眼光を向ける。「山本、いろいろ思うところがあるのはわかる。だが、これは隊にとって最善を考え決めたことだ。
これ以上斎藤を責めることは、私が許さない」伊藤の強い口調と眼差しに、山本は悔しそうに黙り込む。
さすがの山本も、伊藤に睨まれると何も言えなかった。「……わかりました。すみませんでした」
山本は伊藤
舞と呼ばれた女性は、おしとやかな足取りでゆっくりと神威の側へ歩いてくる。 そして神威の前に立つと、可愛い笑みを向けた。「神威様にお会いしたくて……。 屋敷を訪ねたら不在でしたので、仕方なく町を散策していましたの。 そしたら、あなたをお見掛けして」 「言ってくだされば、私から会いに行きましたのに」 「いえ、あなたの邪魔になりたくないもの」 会話の内容と二人の雰囲気、そして舞の神威を見つめる瞳。 これだけ揃えば、雛にだってわかる。 二人は恋人同士なのだと。 雛はなんとなく居心地が悪くて、どうしたものかと下を向いていた。 すると、雛に気づいた舞が神威にそっと耳打ちする。「あの……あの方は?」 舞の視線の先に、雛がいることを感じ取った神威は、雛を一瞥してから舞に微笑みかけた。「ああ、彼は私と同じ隊の者です」 「男性……なの?」 舞が雛を上から下まで舐めるように見た。 同性からだと、女性だと見破られてしまう恐れがある。女性の感は計り知れない。 そう思い立った雛は、慌てて舞の方に駆け寄り挨拶した。「は、はじめまして。斎藤雛と申します」 「雛? 女性みたいな名前ね」 雛はしまった、と思ったがもう遅かった。 余計に事態を悪化させてしまったかもしれない。 すかさず神威が助け船を出す。「舞さん、名前など関係ないですよ。 彼の剣の腕前は、隊一です。そんな女性がいると思いますか?」 「まあ、あなたより強いの?」 舞がすごく驚いた表情で雛を見つめている。 神威が慈しむような眼差しを雛に向け、静かに答えた。「そうですね……たぶん」 「まあ、それはすごい! 斎藤さん、お強いのね」 舞が雛に微笑みかける。 雛は神威の機転に感謝しつつ、複雑な心境で舞の笑顔に応えたのだった。 神威と舞が二人きりで話している姿を、雛は遠
雛は神威と共に町を散策し、買い物したり美味しいものを食べ、一日を満喫した。 一日の終わりに、二人は夕日が見える川岸に辿り着く。 そこへ座り、景色を堪能しながら、のんびりと過ごした。「あー楽しかった! 一日があっという間でした」 雛が笑顔を向けると神威は優しく微笑む。 不思議だ。 彼といると雛は自然体でいられた。 本来の自分に戻れる気がする。 暗殺部隊のリーダーではなく、平凡な一人の人間に。 偽りの男の雛ではなく、ごく普通の女の雛に――。「よかった」 神威が夕日を見つめながらつぶやいた。「何がですか?」 「君の笑顔が見られたから」 雛はその言葉に驚き、神威を見つめる。 夕陽に輝く横顔が眩しくて、思わず見惚れてしまった。 振り返った神威の瞳に吸い寄せられるように、雛は視線が離せなくなった。「あの一件以来、君は笑わなくなってしまった。 俺は悔やんだよ、あの時止めておけばよかたって。 ……もしも、君の負担が大きいなら、隊を抜けた方がいい。 君のやりたいことなら、別の形で成せばいいんだ。他にいくらでも方法はある」 神威の心配する気持ちが痛いほど伝わってきて、雛の目頭は熱くなった。「心配していただき、ありがとうございます。でも、私は大丈夫です。 人々が困っているのに何もできないなんて、そんなのは絶対に嫌なんです。 私にできることがあるならやりたい。 それがたとえ茨の道だったとしても……いつか平和な世の中で、皆が笑って暮らせる時代がくるなら、私はこの身を捧げます」 雛は自分の今の気持ちを正直に打ち明け、神威に微笑んだ。「……それに、今日神威さんとご一緒できて、なんだか元気になりました! やっぱり神威さんはすごい人です」 とびきりの笑顔を向ける雛を、複雑そうな表情で神威は見つめた。 そして何か言おうと神威が口を開いた、そのとき、「神威様?」
雛たちの手によって大名は葬られた。 黒川は自分の領土と平行し、亡くなった大名が所有していた土地の大名となった。 これで黒川の統治する領土は格段に広まったことになる。 雛たちに大名暗殺を命じた黒川は、その領地で先に後ろ盾をつくっていた。 大名が死んだのち、自分が大名の座につけるように先に手を回していたのだった。 その日、神威は雛のもとへ向かっていた。 大名を殺したあの日。 血だらけの刀を手に戻ってきた雛を見て、神威の胸はひどく痛んだ。 覚悟はしていた、こうなることもわかっていた。 しかし、実際目の当たりにすると、神威の胸は締め付けられた。 あんなに心優しい雛が人を殺める。 それは、彼女にとってどんなに辛く苦しいことだったろう。どれだけ葛藤しただろう。 あの日、雛は屋敷へ戻った後、伊藤に報告するとそのまま何事もなかったように姿を消した。 何も言わず、感情も出さず、ただすべてを淡々とこなしていることが、余計に神威の心をざわつかせた。 雛は感情を殺している。 自分を殺し、任務を遂行することだけに集中しているように見えた。 こんなことが続けば雛の心が壊れてしまう。 こんなことになるんだったら、止めておくべきだったかもしれない。 雛が決めたことだ、彼女の志を邪魔してはいけないと思い、見守ったのが間違いだったのだろうか。 考え事をしている神威の目に、雛の姿が飛び込んできた。 そちらへ足を踏み出そうとした神威だったが、やめた。 その隣には、宇随の姿があった。 神威は物陰に隠れ、二人の様子を観察することにした。 「なあ、雛……胸を張れ! おまえは人に誇れる立派なことをしたんだ」 宇随が必死に話しかけるが、雛はただ何も言わず、空虚な瞳を向け続けている。「あの大名は悪党だったんだ。 民から多くの税を巻き上げ、自分だけが贅沢してた。身分制度を強化し、貧富の差を大きくしようともして
「私に、欲しいものなどありません」 淡々と言うその声音に、底冷えするような恐怖を感じた大名の顔は青ざめていく。「では……どうすればいいのだ?」 大名は慄きつつ、雛の表情を必死に汲み取ろうとする。 しかし、返ってきた言葉は期待を裏切るものだった。「……死んでください」 大名の瞳が大きく開く。 何か言おうとしたが、そのときにはもう既に雛の刃が大名を貫いていた。 一瞬の出来事に何が起きたのか把握できない大名だったが、じわじわとやってくる痛みで事態を把握する。 大名を貫く刃の先から、血がポタポタと滴り落ちていく。「くっ……き、きさま――ゆる、さ……ん。 この、ままで……すむと、おも……う……なっ」 雛が刀をすばやく抜くと、大名はズルズルゆっくり倒れていく。 そのとき、ようやく宇随が姿を現した。「雛!」 声に反応し、雛はゆっくりと振り返る。 その雛の様子に宇随は愕然とした。いつもの、雛じゃない。 感情のない虚ろな表情で、今意識がしっかりあるのかないのかも判別できない。 しかし、目だけは鋭く、しっかりと獲物を捕らえようと光を放っている。 ――今の雛に狙われたら、きっと誰も生きて帰れない。 そう感じるほど、雛は殺気と狂気を孕んでそこに立っていた。 見つめられた宇随は、初めて雛に恐怖を感じた。「おい……大丈夫、か?」 一歩踏み出した宇随は、近くで倒れている男に蹴躓いた。 その男が小さく呻く。「生きて、る……?」 どうやらここに倒れている男たちは大名を除き、皆生きているようだった。 雛が情けをかけて生かしたのだろうか。 宇随が雛を見つめる。 雛は血に染まった刀を持ったまま、ただ立ち尽くしている。 こちらを見てはいるが、焦点は定まっていない。 宇随は近づいていき、雛の正面に立った。「雛、もう終わった! 終わったんだ。
目的の部屋の前で、雛は息を整えながら胸を押さえた。 逸る心に合わせ、心臓の音がやけにうるさく聞こえる。「ここだ……」 屋敷の見取り図や部屋の位置は事前に確認済みなので、間違えることはない。 緊張しながら、雛は目の前にある障子をそっと開いた。 部屋の真ん中で、布団に眠る男が目に飛び込んできた。 雛は音を立てないように慎重に近づいていき、男の側で佇む。 そっと刀を抜き、男の胸に切っ先を向けた。 手が小刻みに震える。 初めて人を殺すのだ、無理もない。 それに、雛にはまだ迷いがあった。 本当にこれしか道はないのだろうか……人を殺めない別の道があるのではないか、と。 しかし、伊藤の言葉を思い出した雛は、決意を固める。 これは大義のため。 平和で皆が笑って暮らせる世をつくる為なのだと、自分に言い聞かせる。 そのとき、男の目が突然開いた。その瞳が雛を捉える。「貴様っ、何者だ!」 雛は目が合ったことに動揺し、少し動作が遅れてしまった。 その間に男は雛のもとから逃げ出した。「であえ! であえ!」 男の掛け声に、四方八方から護衛たちが姿を現した。 あっという間に雛は取り囲まれてしまった。 もうやるしかない! 雛の目つきが鋭く変わった。「……何奴? 貴様、大名の命を狙ってただで済むと思うのか? 皆の者かかれ!」 剣士たちが一斉に雛に飛びかかる。 はじめに斬りかかってきた三人を、目にも留まらぬスピードと鮮やかな剣さばきで風の如く斬り倒していく雛。 その様子を目の当たりにし、後に続こうと構えていた男たちがたじろぐ。「な、なんなんだ!」 「こいつ、ただ者ではないぞっ」 雛を警戒し、皆が一歩下がる。「ええい! 何をしている! かかれ!」 大名が怒鳴り散らすと、男たちは勢いよく雛に襲いかかってきた。 一人
山本のあの一件以来、隊の中ではわずかな不協和音が続いていた。 しかし、伊藤と神威を筆頭に、隊は訓練を重ね、確実に実力をつけていた。 そして、とうとう雛たちに初めての任務が与えられることとなった。 伊藤に呼び出された隊員たちは整列し、話に耳を傾ける。「皆、よく頑張ってくれた。黒川様も認めてくださり、初めての命を下さった」 文書を読み上げていく伊藤の話を聞いていた雛は、ある“言葉”を聞いた途端愕然とした。「暗殺……」 その文書には、『これからつくる世に、邪魔となる者たちを暗殺すること』という内容が記されていた。 当たり前だが、雛は今まで人を殺したことなどない。 大義名分の為とはいえ、人殺しなど―― 雛の動揺は誰から見ても明らかだった。 青ざめた顔で視線が挙動に動いている。呼吸まで少し浅くなっていた。 何を考えているのか想像ができる。 伊藤は雛に言い聞かせるようにゆっくりと話す。「いいか? 黒川様が描く、皆が幸せに暮らせる世をつくるため。それを邪魔する者を排除しなくてはならない。 誰かがやらなければいけないんだ。 国のため、民のためなのだ。わかってくれ」 本当にそうなのだろうか……。 国のため、民のためなら、人を殺めることは許されることなのか? 困惑している雛の肩に、伊藤の手がそっと置かれる。「斎藤、おまえはこの国の未来のため、人々の幸せのためにその力を使いたいと言ったな? 世の中には、おまえが考えられないような悪い奴が存在している。死んでも仕方ないくらいの。 そういう悪い奴らが善良な人々を苦しめている。 斎藤、おまえは優しいから放っておけないだろう? 誰にも裁くことができないのなら、私たちが裁くしかない。おまえが必要なんだ、力を貸してくれ」 伊藤のその真摯な想いや態度は、雛の心を揺れ動かす。 きっと伊藤に付いていけば、たくさんの人が助かる。 そう自分に言い聞かせ、雛は伊藤に